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石触徘徊人+g

gecko2005.exblog.jp

瑞牆山の情報など(石と言葉と微かな光)

ほの暗い川底での一生

大地震と原発

なんだかあれから言葉が重い。
つまり心がうんとこ重たいのだ。
しょうがないから人生計画停電
非生産的に生きてみようか?なんて思う。
そういうのも、きらいじゃないしね。
しかたなく前向きにがんばって生きようとする人に対して
もっとがんばれって言う気ににはならない。

さて〜
昔観た映画に『マイライフアズアドック』というのがあった。
実は内容はさっぱり記憶に残っていないのだが
宇宙に片道切符で飛ばされるライカ犬の孤独に比べるくだりだけ
妙にリアルな孤独との戦う方法として記憶に残っている。
そして、そのあと古いニュース映像で見た実際のライカ犬の何も語らぬ
その瞳がいつまでも私に何かの答えを求めるのだ。
犠牲とは何か
進歩とは何か
命とは何かを

そして、あの大山椒魚もそうだった。
あのほの暗い川底から、あるかなしかの小さな目で
私に答えを問いつづけるのだ。

あれはもう30年ほども前になるだろうか?
当時から何かを探して山を歩く事が好きだった私は
日本最大の山椒魚を求めて福岡から大分まで出かけたのだった。
何の変哲も無い山間の田舎町にたどり着くと、夜を待って谷に入った。
そこは昼間見たどこにでもある、ありきたりの渓谷ではなく
水の流れる音が、小さな変化まで妙に敏感に感じ
風が肌をなでていく変化すらはっきりと感じる世界だった。
夜の渓谷は別の顔を持っていた。
ライトに浮かびあがる、深みで白くうねるウナギの不気味な姿。
顔に張り付くクモの糸。
すぐ先の世界しか見えない夜の谷。
はたして大山椒魚は見つける事は出来るのだろうか?
そいつは、何時どんな形であらわれるのだろうか?
そもそも本当にこんな渓谷にいるのだろうか?
そう思いながら足元をライトで照らした。
「いた!?」
発見はあっけなかった。
実にあっさりと、そいつはじっとして私の前に姿をあらわした。
体長およそ60cm
実際みるとでかい!
後に大陸大山椒魚を見たときはマジでかい!!さらにビックリしたけど
そのときはそのときで本当にでかい!とビックリ喜んだ。
なんだか本当にうれしかった。
こんな大きな生き物が今もこの世界に生きていて
生活圏近くの普通の渓谷に生きているのだ。
それから、あっけない程次々と大山椒魚を見つけた。
たぶんほとんどの淵に一匹ずつ住んでいたのだろう。
意外と普通に生息している事に驚いた。

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思えば、こいつらは生きた化石と呼ばれるほど昔から生息してきたのだ。
しかも、その姿をほとんど変える事はなかったという。
見たところ動きは鈍かった。
簡単につかまえ水中から持ち上げようとすると
ぬるりとすべって落ちた。
しかしエサを捉える瞬間は見えないぐらいの素早さだという。
成長は遅く長生き。
見たところ冴えないけど、何故か可愛くもあり格好良くもある。
ぼおっとしてるような感じではあるけど
悟っているようでもある。
つまり
人智を越えて生きている。
当時の私には、その完成系の生き方の真理までは理解出来なかった。
「こんなほの暗い水の底で何が楽しくて生きているのか?
やつらの恋にあたたかさはあるのか?
望むものは何ですか?」
進歩もなければ成長もない、だから変わらぬ姿でいられるのかもしれないと思った。
しかし、そのために、ほの暗い水の底で一生を終えるのには耐えられない。

昼間見た、その谷はごく普通の渓谷にしか見えなかった。
でも、たしかにそこらの石の下で、やつらはひっそりと息を潜めているのだ。

あれから随分時間は流れ
つまらないと思うのは所詮
自分の心の中でしかないと思えるようにもなった。
冷えた愛こそ究極のエコとも言える。
愛情こそ最大のエネルギー消費の元だからね。
多種多様な愛を育てながら社会は過剰に膨らみつづけている。
誰が何時その飽和限界に気づくのだろうか?

いろんな生き方を思う時
それぞれに八分目の幸せがあるような気がする。
あとの二分を手にする事は終焉につながるのではないだろうか?

そして、そんな時大山椒魚の事を思い出したりする。
遺伝子の継続こそ自然界の勝利であることは間違いない。
姿形を変えない事こそ完成に近い事は間違いない。
そうなれば、試行錯誤の我々こそ滑稽な気がしてくる。
歴史が水の流れなら。はたしてそれはどこへ向かうのか。
きっと大山椒魚達は答えを知っているのだろう。
だから、私に問いかけてる気がする。

答えはわからない
でも時々質問の意味は分かるような気がする。

今がそうだ
原子力が神の火なのか悪魔の火なのか?
それとも我らの火として操る事が出来るのだろうか?
「多くを望めば多くを失う」
そういう言い方が時代に合わないのなら
前向きにこう言うべきだろうか
「多くを失わなければ多くは望めない」

そういった多くの失ったものの中に、あの谷が入ってなければいいのだが。
大山椒魚達は今でもあの谷で変わらぬ暮しが出来ているのだろうか?
あの、ほの暗い水の底で。


オオサンショウウオ
by gecko-2005 | 2011-04-09 00:59 | 僕らはみんな生きている