人気ブログランキング |
ブログトップ

石触徘徊人+g

gecko2005.exblog.jp

瑞牆山の情報など(石と言葉と微かな光)

カメムシに産まれて

e0010166_23501744.gif

↑オオキンカメムシ(海岸近くの照葉樹林に集まるらしい 25mm程にもなる)

さて、場所は城ヶ崎。
海岸に降りる林の中に美しい虫がいた。
あたりを見渡すとあちらこちらに沢山居いて、じっとして動かない。
すぐにキンカメムシの仲間だとわかった。
カメムシの仲間は種類も多く、奇麗なものも多い。
しかし、セミと同じ仲間でありながら、きょ〜れつに嫌われている。
その理由として、カメムシは鳴かないし、男心をくすぐるいかつい武器も付いていない。
そして、なにより臭いということであろう。
こいつらが良い匂いをだして涼しく鳴けば、こんな扱いも受けなかったろうに
嗚呼!〜哀しいかなカメムシ。
しかし、実はカメムシは嫌われてナンボ、臭ければ臭い程安全!
つまり種としては強いという事になるのだ。
だからと言って、我々人間との関わりの評価が変わる事は無いのだろうが
少しはカメムシの立場に立って(たてね〜よ)
無知なるが故の不当な評価を考え直していただきたいものである。
いや、むしろカメムシにとっては、その不当な評価こそ好都合であろうか?
しかし、オオムラサキの生息地だから森を守りましょう‥とか
ジュゴンの住む海を後世に残しましょうとかの人間側の勝手な自然仕分け対象としては
限りなく低い評価であろうし、政治的、産業的に利用される事もまずないであろう。
その理由はやはりとってもクサい!ということに尽きる。
そんな不遇な扱いのカメムシ達を観察しながら
やっぱり私も『カメムシに産まれなくてヨカッタ〜』と思うのだった。
しかし、個人的にはカメムシは全然キライではない。
むしろ勝手な共感と共に好きでありたい虫達だとさえいえるのである。

その共感とは
カメムシを嫌いな人の多くは(全部?)「だってすごくクサいから」が全て。
どんなに奇麗でもどんなに多様に生きていても、「だってカメムシだもん」で
全て終わってしまう。
世に中にはこうやって理解されないまま、その評価が決まってしまうものが
果たしてどれだけあるのだろう?
そこに何故だか共感を感じる。
でもって「でもオレは解るよ」などと、
どうでも良い意見をカメムシに言ったりするのだった。

たとえば
クライミングに対する世の中の理解度は、そうとう低い。
五大陸とかスピード記録とか清掃登山とか学術登山とか
一見意味がありそうな御託を並べてるのはクライミングとは別の意図があっての事。
よくよく考えてみればクライミング自体には何の価値も意味もない。
意味があるとすれば、クライマーがもたらす価値観や、受け入れるリスク。
そんな文化としての果てしなく遠い距離感にむしろ意味があり
それこそがクライミングがクライミングたる所以であったはず。
それが、ここんところあらぬ方向へ向かい始めた。
(いや、むしろあらぬ方向へ進んでいたのはコチラの方?)
クライミングの価値を、軽い共感や利便性にたより、数値化して量り売りする
つまりクライマーの中に、世間の評価を基準に正しいと言われる行いをする人たちが
多勢をしめるようになり、安全の為にとか、みんなの為にとかいう理由を掲げて
実は自分の為に都合の良いルール作りをしている現状。
それは商業媒体である山岳雑誌等の影響も大きいと思われるが、今に始まった事ではない。
民主主義はどこにでも当てはまると勘違いしている人達の始末の悪さ。
危険を克服出来たのが人類が生き残って来たの歴史の要。
その文化が濃く生き残っているのがクライミングだというのに
無知なるが故理解出来ない平和で仲良しこよしな人達。

?あれ何の話しだったっけ?
そうそう、そういう人達って
「カメムシは臭いから方舟には乗せられない」なんて、もっともな事を言いそうじゃない?

カメムシ達はそのクサい臭いを武器に世間から嫌われ生き抜いて来た。
思えば平和な武器である。
それがカメムシ達の居場所であり共感を求めてはならない境地なのだろう。

カメムシ達は臭いが故に、今日も平和に生きているように見える。
by gecko-2005 | 2010-01-05 22:09 | 僕らはみんな生きている