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石触徘徊人+g

gecko2005.exblog.jp

瑞牆山の情報など(石と言葉と微かな光)

チーズパン喰わえたネコ

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↑こいつはいがいがねの猫

城ヶ崎に行った。
目的は特になかったけど、クラックでも登ろうか〜という気持ち。
で、適当に磯に降りて適当にクラックをリード
エリアも分からなければクラックの名前もグレードも分からない。
まあ、簡単なそいつを気分よく登りザックを置いた処に戻ると猫の姿が。

やられた!
ランチ袋喰わえて逃げられた〜
追いかけてフランスパンは回収したもののチーズパンはすでに食べられたあと。
 猫はチーズパンが好きらしい。
この辺の磯には野良猫が多数出没していて、つり客などからエサを得ていると思われる。
都会の猫とは明らかに目つきが違い、警戒心をとく事はない。
生きるうえでの必死さが伝わってくる。
だもんで、こちらとしても
「しょうがねえ〜盗られたもんは」
と、何故か納得。

つまり、物事の善悪の基準は私の場合そこにある。
納得出来る基準とでもいうのだろうか
やった行為が問題なのではなく
その程度が問題なのでもない。
それが社会のルールを破っていて、仮に誰かに迷惑をかけたにしても
それが、その人(あるいは猫)にとって唯一の選択だったのかどうか。
なんの為の選択だったのか
そこに愛があるかどうか?
そういった基準。

こちらとしても猫の事情は分からない
でも、こう想像することが不自然じゃなく納得出来るイメージとして入ってくる。
『おいら(ネコ)はここで産まれここで育って来た。
エサは与えられるものではなく、奪い取るもの。
しかし釣り人からエサをかすめ盗るのはリスクが大きい
サカナが釣れない人間はおいらたちに対して暴力的だ。
リスもなかなかつかまえられない。
その点、週末に来る、岩を登っている人間は割とノー天気だ。
そばに行けばエサをもらえるかもしれないし、食料を外に出したまま遊んでいる事が多い。
狙い所だ。
なにしろお腹が減ってる。食べ物がそこに置いてある
人間様のルールなんておいら知らねえ〜
ネコにはネコのルールがある。ミャ〜』

あ〜全然想像が違っていたらどうしょう?
返せチーズパン!

さてさてさて
ネコにはネコのルールが
人間には法律が
スポーツには厳格なルールが
文化には、その価値判断を示す歴史があるように
クライミングにも歴史やルール(ある意味暗黙の)がある。
ルールを設けるとルール内ならなんでもやって良しという輩がいるので
私はその理念を元に仁義と呼んでいるが。
昨今の仁義なき戦い。(でも、やつら戦ってね〜し)
ど〜想像しても納得出来ね〜!
たいしてクライミングの歴史も知らないで都合良く自己解釈しているとしか思えね〜し
たいして戦ってね〜のに都合良く妥協してるようにしか見えね〜
「登れりゃいいんじゃね?有名人もやってるし〜」などと悪いところだけマネしてるように思える。
これは長く登って来た我々や時代を引っ張るやつらにも責任が無いとは言えない。
楽しければいいという考えは、楽しければなんでもいいいの?って疑問が付きまとうし
クライミングは自由だよって考えは、じゃあ自分でゼロから自由を得ろよ!って思う。
「自由で楽しく、しがらみのないクライミングをやってます」
その普通の言葉を正しく言えるのって、けっこう大変なんだから。

ひらやまゆーじがビデオの中でティックマークを大胆に描いているシーンがあったり
オンサイトクライマー代表の身でありながらムーブ解説を公然と発表したり
こやまだだいがボルダーの下地を大土木工事で整地している記事があったりホールド貼付けたり
じぇいそんきーるがハイボルダーをロープ使ってリハーサルしていたり
大量のマットを敷き詰めてトライしていたり
でぃーんぽったーがクラックを登るのにティックマークを描きまくっていたり
むろいときおがボルダーのムーブ解決にロープを使っていたり。
そんな本当に戦っているやつらの妥協してるところだけ都合よくマネしてね〜か?
当然そいつらにも責任はあるし、歴史はそれでも作られるのだからある意味罪も重い。
しかしゴールド免許保持者のほとんどがペーパードライバーであるように
クライミングに長くかかわればかかわる程、違反といったものも増えるのかもしれない。
だから現時点では多少納得出来るし、私にはマネすら出来ない。
だけどリスペクトする気持ちと共に、やはり間違ってるよそいつらもって言わないと、
いろんな事がなし崩しになっていくんじゃないかな?

2010年はたしてクライミングはどこへ行くのだろう?

とりあえずチーズパンを喰わえて逃げた猫には気をつけようと思う。
納得出来ても勘弁しないよ〜
by gecko-2005 | 2009-12-29 11:13 | 僕らはみんな生きている