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石触徘徊人+g

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瑞牆山の情報など(石と言葉と微かな光)

v.s南京虫

まずは南京虫とのたたかいから。

 最初にあいつにやられたのはインドの聖地ガンゴトリでの事だった。
その日寺院近くの宿に泊まった私は、翌日その異変に気付くまで
しっかり熟睡してしまったのだった。
同室の先輩は無傷!違いの分かる南京虫達だったのだろう。
翌日は4300mの高地目指してのトレッキング。
初めて見るヒマラヤの壮絶さに圧倒され、
刺された事を実はそんなに気にしてる余裕もなかったのだが、
パンツのラインにそって点々と残るその痕は約60箇所!
それが南京虫の痕だと気付くと、さすがに大変な事になったかもしれないと
思わずにはいられなかったのだ。

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     ↑絵 これが南京虫の宴会イメージ
     (あまりにリアルに書けて自分でも気持ち悪い。デスクトップピクチャーに最適!)




それというのも子供の頃に親父に聞かされた、南京虫の話しが
リアルに記憶に残っていたからだ。
親父は未だ残る刺し痕を見せながら繰り返し言った
「かゆくてかゆくてかゆくてかゆくて‥‥‥‥‥‥‥‥そりゃ〜かゆくて」
もう、どんだけかゆいのだ〜
そして親父はこうも言った
「刺された痕はポツポツと二つの刺し痕が残る!それが南京虫だ!」
今になって思うと、親父はもうその頃には日本にはほとんどいなくなっていた南京虫を
引っ張り出して子供心に恐怖心を植え付けて喜んでいたとしか思えないのだが。
その恐怖が今になって現実になったのだ!
しかも恐怖は60倍!
事態は深刻で初めてのヒマラヤもこれで終わってしまうかもしれないと思った。
それが最初の一方的な南京虫との出合いだった。
そのあとだが、実は寒い高地に2ヵ月も居た為か、ほとんどかゆみは感じず、治ってしまった。
あの親父の過剰な脅しは何だったんだ?
でも、刺し痕は2年近くも残っていた。
もしかすると体質が南京虫に合っていたのかもしれない。
(そんなわきゃーないか、実はアレルギー反応で2度目がメチャかゆいらしい)

それから数ヶ月後、私はネパールの安宿に居た。
さあ、寝るかと思ったが白いシーツに点々と残る薄い茶色のシミに
「これは〜もしかすると」と感じた。
その時はすでに安宿巡りで一端のトラベラーの嗅覚を身につけていた私はベットをひっくり返した。
そこにはビッシリと南京虫が張り付いていた!
宿のオヤジを呼び部屋を変えろと交渉すると、オヤジは横型空気入れみたいな
殺虫剤をシュポシュポと南京虫に浴びせ、問題無いと引き上げていった。
ベットの下に広がる殺虫剤に沈んだおびただしい南京虫。
犠牲は受けた方だけが犠牲として認識する。
「まあ、いいだろう」
その南京虫の死をもって、今夜はそのベットで良しとしたのだった。

あれから何十年も経つが南京虫との出合いはその後無い。(あってたまるか)
そう思うと親父との記憶をある意味共有出来ただけで南京虫と出会えた事は
それで良しとも思えるのだ。

かれらもみんな生きている。

(あれ〜何かいい話し??)

もっと南京虫!って人はココ
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by gecko-2005 | 2009-07-29 00:18 | 僕らはみんな生きている