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お正月は外岩もいいけど
かるたもいいですよ〜 絵も描けって? 勘弁して下さい。 (ボルダリングにしぼりました、クライミング編はそのうち?) ボルダリングいろはかるた い. 異性の前ではそれとなく必死 ろ. 論より完登 は. 花よりマット に. 憎まれぬよう軽く手こずる ほ. 骨折りボルダラーとくたびれクライマー へ. 下手の長講釈 と. 跳ぶなら迷うな ち. チョークも積れば山汚す り. リーチも足りない勢いも足りない ぬ. ぬるい君にもガンバの声援 る. ルールの隙間に明日はなし を. 老いて騙(かた)るは「昔しは出来た!」 わ. 笑うボルダラーには福来たる か. 可愛い石にも無慈悲な課題 よ. よし来いと!腰が引けたスポッター た. たりないスタートはマットでおぎなう れ. 連休過ぎれば静かな岩場 そ. 損得だけなら他の趣味 つ. つらい課題も心は幸福 ね. 念には念で磨き過ぎ な. 何故にそこで手を離す ら. 楽勝楽勝本当は辛勝 む. 無駄だと思っても百トライ う. うまくても力が足りなきゃ下手と同じ ゐ. 一撃男の過剰な雄叫び の. のどかな一日マットで昼寝 お. お買い得課題で安物ゲット! く. グレードずれても高いと納得 や. やるの帰るのビールにするの? ま. マットを敷くなら落ちるとこ け. 元気があっても何にも登れず ふ. 不安は地面に置いていく こ. 怖いから許して下さいもうしません え. 得手を何度も繰り返す て. デットポイントはそ、のタイミング あ. 頭使えず力で勝負 さ. 猿みたいな人ってほめ言葉? き. 聞くな語るな自分の課題 ゆ. 油断大切あぶらを避けよ め. メインに行く前アップで終わる み. 身から出た汁 し. 知らせぬが親切ムーブ解説 ゑ. エッジに限って力持ち ひ. 貧乏暇だし石垣登り も. もう一回やると何故か登れず せ. 背中で語るトレーニング人生 す. 好き者こその上手かな こんなことやってないで早く年賀状書かねば〜
今年は特にいろいろありました。
3.11 原発事故 世界各地での革命 そこで気になり共通してるのは情報操作です。 そこで いろいろと思うところあります。 やはり能力と言葉のバランスは釣り合ってこそ力じゃないかな?という事。 だから人を論じるなら正しいとか正しくないとかではなく、 その言葉に正当性を持たせるだけの痛みを感じていたいという事。 昔空手家のマス大山氏も常々こう言っていた。 「正義なき力は無能なり!! 力なき正義も無能なり!! 」 つまり正義と力とどちらが大切か?という事ではなく、そろって初めて意味をなすという事。 だとすれば力を失いつつある私が無能とも言える言葉を吐く意味はなんでしょうか? まして名無しのブログでなど‥ て事で「終わりにしょうかな〜」なんて思ったのですが〜〜 いやいや、連戦であちこち痛んだ身体に意味はないのか? 修羅場くぐりで乾いた心に真実はないのか? ないのか? 「ほとんどないな〜やっぱり」 でも 来年は開きなおって 無能であってもそれはそれ! サブタイトル『人畜無害の言葉たち』 みたいな軽い隠し毒盛り感覚で始めようかと‥ 思ってるような、でもないような。 とりあえず一度ブログを整理して再出発?したいと。 ではみなさんよい年を (まだ早いか)
ヨセミテのリスたち。
ああ〜所詮ネズミなのにかわいいって、やっぱりお得? ![]() 樹にいるリス ![]() 「ふぁ〜っ」ジリスです。 ![]() シマリスではなくキンイロジリス。 その他の動物たち ![]() 小型のヘビ ![]() たくさんいたトカゲ ![]() チョウ ![]() ハウスキーピングに表れたミュールジカ ![]() サンショウウオ ![]() 福島にしばらく行ってました。 日々放射線と戦ってました。 ‥ もうすでに夏の思い出ですが。 そこで偶然捕まえたのが、このルリボシカミキリ 子供の頃からいつか捕まえたいと思っていたのだが 九州では見つけた事がなかったので、捕まえた時は大変うれしかった。 子供の頃にやりたかった事やほしかった物が 大人になって出来るようになったり手に入ったりする。 でも、やっぱりやりたかった時に出来たらよかったな〜 ほしかったときに手にしたかったな〜 なんて思う。 そして、大人になってからやりたくなった事なんて 実はほとんどない事に気づく。 本当にほしい物は、今となってはそれほどでもない事に気づく。 昔なら標本行きのルリボシカミキリでしたが 今となっては‥ 逃がしてやりました。 やさしさではなく。
雨の日ベランダに動くものが。
カニだった 我が家は三階 果たしてどこから表れたのか? 川は近いし、カニは川には沢山居る。 (東京23区です) しかしビル壁をよじ登ってベランダにまで来るのか? だとすると何のため? ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』の冒頭にはこうある。 『キリマンジャロは標高6007メートルの雪におおわれた山で、アフリカの最高峰である。西側の山頂はマサイ語で「ヌガイェ ヌガイ」、神の家と呼ばれている。その「神の家」近くに、一頭の干からびた豹のしかばねが凍りついている。豹がこんな高地に何を求めてやってきたのか、理由は誰にもわからない。』 だからなに?って訳じゃないけど。 ![]() 自宅へつづく共用廊下を歩き エレベーターに乗り込むため左に折れた瞬間だった。 !?へび? 植え込みから身体を伸ばし横たわっていた。 こんな場所で遭遇するには不釣り合いな大きさ。 90cmはあろうか? 田舎町で外人さんに出会った田子作さんのように皆に語った。 「今日自宅にヘビが居てさ!」 まるで大蛇を見たかの如く。 都会と田舎では珍しいもののランクが違うだけで 珍しいものに出会う数はおおむね同じ? ![]()
屋久島に野生の魂を見た!
1996年、私は二人の仲間と写真を撮る為に屋久島のある沢に入った。 5月だというのに連日好天に恵まれ、原始の溪を十二分に味わいながら 快調に難場をこなし上流部にさしかかっていた。 そこは狭まった溪が広がりを見せ始めるところで 溪は明るく、かといって浅くもなく 広大な原始がまだ見えぬ稜線に向かってつづいていた。 ゴルジュを抜けたあとに広がる自由を具現化したような風景がそこには確かにあった。 そういう場所が、どうしょうもなく好きだ。 初めてたどり着いたと言うのに、戻って来たかのような場所。 そこもそういう場所だった。 流れる清流でのどを潤し 次の越えるべき滝を見上げると 高さは7〜8m程でしかないがつるっとして悪そうだ。 側面はやや傾斜の強い草付となっているが容易に巻く事が出来そうだった。 右から巻いて滝の上に回り込む事とする。 巻き終わりに様子を探るべく二人を残し 一人傾斜の強い草付きを滝の上部へ降りてみた。 そこからまた水際をたどる事が出来そうだなと思いながら草付きを離れ 溪の方へ振り向いた、その瞬間だった。 そいつがそこに立っていた。 凄まじいまでの眼光を発する黒い犬。 空気が変わり時間が一瞬固まった。 そいつは目の間に皺を寄せ低く唸った。 その距離約ニ間。 そいつの足元にある何かの固まりが気になったが 視線を落とす事さえ出来ない。 次元の違う殺気が飛びかかるように襲ってきた。 それは錯覚だったのかもしれないが何かが後ろで動いたような気がした。 一瞬意識がそっちへいったのだろう。 その瞬間目の前から、そいつは消えた。 そいつがいた足元には内蔵が引きずり出されたヤクシカが横たわっていた。 視線を左右の石の後ろに置いたままカメラをシカに向け一枚だけシャッターを切った。 少し後ずさってから、振り返ると降りてきた草付きを一気に駆け上がった。 背中に強烈な殺気みたいなものが突き刺さっていた。 大きな岩が足元から転げ落ちていった。 息が収まってから仲間に告げた。 「‥野犬が‥いる!」 ![]() ↑襲われたヤクシカ(下流で美味しく生水飲んじゃいました) ![]() ↑シカと野犬 ![]() ↑二匹の野犬 上流の岩陰に回り込みやつが居た場所を見ると 白い野犬が下流に向けて走り出したところだった。 「しろ?」 そう、私が対峙した野犬は黒だったはずなのだ。 「しろいね〜?」 そう思ううちその白い犬は岩を軽々と跳んで岩陰に消えた。 そして次には下の岩から現れ次の滝を岩へと跳んでいった! 驚愕とはこの事であろうか? あの野犬は我々が高巻いた滝を軽々と跳び降りながら下流へと駆け下っているのだ。 犬は下降に弱いという認識が完全に間違っていた事を知った。 犬に対して持っていたいかなるイメージをも越えていた。 その動きはまさにオオカミの如し!(オオカミ見た事ないけど) そして、その白い野犬が駆け下った先にはもう一匹の黒い野犬が待っていた。 二匹は連れ添うと悠々と沢を駆け抜けて我々の前から消えてしまった。 また水の流れだけが戻ってきた溪を見ながら やつらの生きてきた様と行く末を思った。 自由自在に険しい渓谷を駆ける姿を。 シカを追いつめる、取り戻した野生の姿を。 厳しい冬と新しい命を育む春を。 そうして何代かに渡り、人里には戻れなくなったやつらは 野生として生きる場所を求めるうち、この溪にたどり着いたのかもしれない。 そう思うとこの場所が、また格別の場所のような気がしてきた。 隔絶された世界に適応して生きる最後の犬達。 「ふう〜‥」 ため息が残った。 それを証明出来る話しかどうかわからないが その後偶然森の中で出会った猟師は野犬を見たと話すと、驚いてこう言った。 「ま〜だ居たのか!」 野犬は所詮犬である。 見た目もまんま犬だった。 その内側にたとえ先祖帰り的野生の血が流れていようとも 犬は犬 オオカミには帰れない。 だから今、危惧することは沢山ある。 やつらが生きて行ける世界は狭まっている。 世界遺産であり観光地でもある。 でも、やつらがいつまでも溪を駆け、シカを追い、冬を乗り切って 次の世代に野生の魂が引き継がれていればいいなと思う。 「だって本当に凄いんだもの!」 人々が容易に入れないあの場所は やつらにとって最後のユートピアなのかもしれない。 あれから時間は流れた。 日々平穏、飼い犬のような毎日 (人はそう思わないかもしれないけど) かろうじて退屈じゃない人生 (それで充分かとも思うのだけど) 誰かフリスビー投げておくれ (取りにはいかないけどね) 歳を重ねて失しなったと感じるもの全ては 失うべき必要があったから失ったのだろうとは思うのだが。 それに抗うのもまた人なのか? どんどんと平穏感に削ぎ落とされて行く切迫感や緊張感 それがどうしても幸せとは思えない。 あ〜人って(特にクライマーってめんどくさい!) あこがれや願望だけじゃたどり着けないのが野生の力 そうとわかっていてもね〜 だからせめて満月の夜には吠えてみたいと思うのです。 しかし、のどの奥から絞り出したものと言えば 何故か 「ワン‥?」
大地震と原発
なんだかあれから言葉が重い。 つまり心がうんとこ重たいのだ。 しょうがないから人生計画停電 非生産的に生きてみようか?なんて思う。 そういうのも、きらいじゃないしね。 しかたなく前向きにがんばって生きようとする人に対して もっとがんばれって言う気ににはならない。 さて〜 昔観た映画に『マイライフアズアドック』というのがあった。 実は内容はさっぱり記憶に残っていないのだが 宇宙に片道切符で飛ばされるライカ犬の孤独に比べるくだりだけ 妙にリアルな孤独との戦う方法として記憶に残っている。 そして、そのあと古いニュース映像で見た実際のライカ犬の何も語らぬ その瞳がいつまでも私に何かの答えを求めるのだ。 犠牲とは何か 進歩とは何か 命とは何かを そして、あの大山椒魚もそうだった。 あのほの暗い川底から、あるかなしかの小さな目で 私に答えを問いつづけるのだ。 あれはもう30年ほども前になるだろうか? 当時から何かを探して山を歩く事が好きだった私は 日本最大の山椒魚を求めて福岡から大分まで出かけたのだった。 何の変哲も無い山間の田舎町にたどり着くと、夜を待って谷に入った。 そこは昼間見たどこにでもある、ありきたりの渓谷ではなく 水の流れる音が、小さな変化まで妙に敏感に感じ 風が肌をなでていく変化すらはっきりと感じる世界だった。 夜の渓谷は別の顔を持っていた。 ライトに浮かびあがる、深みで白くうねるウナギの不気味な姿。 顔に張り付くクモの糸。 すぐ先の世界しか見えない夜の谷。 はたして大山椒魚は見つける事は出来るのだろうか? そいつは、何時どんな形であらわれるのだろうか? そもそも本当にこんな渓谷にいるのだろうか? そう思いながら足元をライトで照らした。 「いた!?」 発見はあっけなかった。 実にあっさりと、そいつはじっとして私の前に姿をあらわした。 体長およそ60cm 実際みるとでかい! 後に大陸大山椒魚を見たときはマジでかい!!さらにビックリしたけど そのときはそのときで本当にでかい!とビックリ喜んだ。 なんだか本当にうれしかった。 こんな大きな生き物が今もこの世界に生きていて 生活圏近くの普通の渓谷に生きているのだ。 それから、あっけない程次々と大山椒魚を見つけた。 たぶんほとんどの淵に一匹ずつ住んでいたのだろう。 意外と普通に生息している事に驚いた。 ![]() 思えば、こいつらは生きた化石と呼ばれるほど昔から生息してきたのだ。 しかも、その姿をほとんど変える事はなかったという。 見たところ動きは鈍かった。 簡単につかまえ水中から持ち上げようとすると ぬるりとすべって落ちた。 しかしエサを捉える瞬間は見えないぐらいの素早さだという。 成長は遅く長生き。 見たところ冴えないけど、何故か可愛くもあり格好良くもある。 ぼおっとしてるような感じではあるけど 悟っているようでもある。 つまり 人智を越えて生きている。 当時の私には、その完成系の生き方の真理までは理解出来なかった。 「こんなほの暗い水の底で何が楽しくて生きているのか? やつらの恋にあたたかさはあるのか? 望むものは何ですか?」 進歩もなければ成長もない、だから変わらぬ姿でいられるのかもしれないと思った。 しかし、そのために、ほの暗い水の底で一生を終えるのには耐えられない。 昼間見た、その谷はごく普通の渓谷にしか見えなかった。 でも、たしかにそこらの石の下で、やつらはひっそりと息を潜めているのだ。 あれから随分時間は流れ つまらないと思うのは所詮 自分の心の中でしかないと思えるようにもなった。 冷えた愛こそ究極のエコとも言える。 愛情こそ最大のエネルギー消費の元だからね。 多種多様な愛を育てながら社会は過剰に膨らみつづけている。 誰が何時その飽和限界に気づくのだろうか? いろんな生き方を思う時 それぞれに八分目の幸せがあるような気がする。 あとの二分を手にする事は終焉につながるのではないだろうか? そして、そんな時大山椒魚の事を思い出したりする。 遺伝子の継続こそ自然界の勝利であることは間違いない。 姿形を変えない事こそ完成に近い事は間違いない。 そうなれば、試行錯誤の我々こそ滑稽な気がしてくる。 歴史が水の流れなら。はたしてそれはどこへ向かうのか。 きっと大山椒魚達は答えを知っているのだろう。 だから、私に問いかけてる気がする。 答えはわからない でも時々質問の意味は分かるような気がする。 今がそうだ 原子力が神の火なのか悪魔の火なのか? それとも我らの火として操る事が出来るのだろうか? 「多くを望めば多くを失う」 そういう言い方が時代に合わないのなら 前向きにこう言うべきだろうか 「多くを失わなければ多くは望めない」 そういった多くの失ったものの中に、あの谷が入ってなければいいのだが。 大山椒魚達は今でもあの谷で変わらぬ暮しが出来ているのだろうか? あの、ほの暗い水の底で。 オオサンショウウオ ![]() ねこだって海を見る 俺はボルダラーだからとか わたしは女だからだとか やった事無いからとか たぶん無理だからとか 歳だからとか ナントカかんとかもう沢山。 やりたかったらやってみる そんな生き方が出来るってのは 生きてくためにやるしかない そんな厳しさとは別次元に幸せな事。 「あんたの登りはまだまだ甘いニャ」 海を見ていた猫が振り返って、そうつぶやいたように聞こえた。 「ごめんニャー」
つゆ
雨がつづく むしあつい〜 岩場 ダニの季節 つなわたり 蚊のこうげき なんでこんな環境に甘んじているのだろうと思う今日この頃 エアコンのスイッチが敗北ポイントを刻んでいくかのようにすら感じる。 あ〜楽しい時間を満喫してたときもあったな〜 たとえば ネパールの山々を歩き回っていたとき。 村々で娘に迎えられ(やや虚言癖あり) 神々の山嶺を眺め 時間は限りなくあって 「明日はどこまでいこうか」 なんて。 じゃあなんで、それをつづけなかったんだろう? なんでくたくたに疲れていたんだろう? どうして都会で住む事を選んだのだろう? 想い出は美化される。 記憶はつらい事から順に消去される。 (でも本当につらい事は消去出来ない) あれは随分遠い昔の話し。 ネパールのジョムソンにて同じ宿に停泊することとなった。 理由はぎっくり腰。 痛めた当初はここまで歩いて来た道をまた歩いて戻るなんて考えられなかった。 ジョムソンには軽飛行機が飛んでくる。 天候次第、不定期の定期便だ。 それに乗りたい〜! ピューっとヒマラヤを越えて、こんなところからおさらばするのじゃ〜 そんな希望を持って腰の治療に努めていた。 しかしなんだって、そんなに疲れていたのだろう? 連日秋晴れがつづき、ニルギリの山は美しく栄え ツル達がはるかな群青の空に舞い上がる姿は地球の存在さえ実感出来た。 なのに ぎっくり腰‥これは大きなマイナスポイントだろう。 蓄積された疲労‥これも大きい。 あとは‥あいつらだ! ノミ そして シラミ やつらはマイナス2000ポイント! そいつらはジョムソンにたどり着く数日前から現れたと記憶している。 やたらと痒い夜がつづいていた。 ノミはシュラフの中でピョンピョン跳ねていたのですぐ分かった。 もちろん日本でノミに喰われた事などないので、最初は ノミを追っかけ指でやっと押さえたときにはちょっとした感動もので ぎゅっと押さえて、そっと離した指の下からビョ〜〜〜〜〜ンと 弾けて逃げられたときは「お〜〜っ!」 とさらに感動したぐらいだった。 ノミは指で押さえたぐらいでは平気!爪でつぶさねば! ノミをなんとか退治し、シュラフも干して安眠出来ると思った。 しかし、痒い夜は終わらなかった。 まだ何かいる。 夜中シャツを脱ぎ、シャッを裏返してヘッドライトで丹念に捜した。 そしてわきの縫い目あたりに、白くぶよぶよとうごめくヤツを発見。 その横にはびっしりと卵が並ぶ。 声にならない悲鳴をあげた。 シラミだ! その気持ち悪さときたらエイリアンのタマゴ以上! リプリーが火炎放射器で容赦なく焼き殺すシーンがしみじみ共感出来る。 (映画エイリアン2だったか?) とりあえずライターを手にとりシラミだけ焼き殺す。 翌日シャツを炎に投げ込みたかったが、旅はまだつづく。 考えたすえ、また着る事にした。 ![]() ↑シラミシュラフ(製品化出来ないかな?) 結局飛行機は飛んで来る事はなく。 また歩いてポカラまで戻る事となった。 腰はなんとか治ったものの、数ヶ月に及んだ登山からつづく 疲れの蓄積は極限まできていた。 旅の終わりは辛い日々だった。 あれだけ長く旅していて、いろんな事が毎日起きた。 なのにノミ、シラミの記憶はしっかりと残っている。 なんだか終わってみれば奴らとの日々も楽しかったような気すらする。 意外とカワユイんだよね。 >想い出は美化される。 記憶はつらい事から順に消去される。 でも本当につらい事は消去出来ない< さて、さて、 どちらだったか?
さてさて、三話完結でいこうと思ったけど、三話めはどうも気が重い。
というのもこの話し、あまりにアンビリーバブルで出来過ぎている。 いままでも、そういった理由で人に話すときも簡潔に端折って話して来た。 それでも「ハトの卵が落ちて来て頭直撃‥」あたりで大抵 !マークとともに三つぐらい???が瞳に浮かぶのが見て取れる。 「もちろん私だって人に、こんな話しされたら中々信じられませんよ‥」 「世界中捜したってハトの卵が落ちて来て頭に当たった人なんて何人もいないでしょうからね‥」 と、あわてて自己否定にも似た弁解をしたりして やっぱり「その日の朝‥」から話しを始めなくてヨカッタ。 などと思うのだ。 さて その日の朝 ベランダのすみに積み上げた仕事道具を取り出そうと覗き込むと 一羽のハトが不安そうな面持ちでうずくまっているのを見つけた。 めちゃくちゃ驚いているのに逃げようとしない。 や〜な予感。 手であたりを叩いて脅かすと、ようやく飛び上がったが、遠くにはいかず 少し離れたところで手すりにとまりこちらの様子をうかがっている。 うずくまっていたところには巣と言えば言えなくもないようなモノがあった。 やっぱり! 仕事道具を積み上げて死角が多い我が家のベランダは ハト達の住処として狙い所らしく、以前にもベランダで卵を産まれた事がある。 そのときは気づいたときには既にヒナになっていて 鳥獣保護法に従って仕方なく巣立つまで見届けた。 しかし日に日に汚れて臭くなっていくベランダを見るにつけ 育つヒナにたいして可愛い〜とかは絶対に思えず 名前をつけて見守るなどといった広い心も持てず ただただ早く出て行け二度と来るな状態であった。 で、その日の朝 巣を撤去する。 追い出された産卵間近のハトが 恨めしそうにコチラを見つめていた。 ちょっと脅してから仕事に向かった。 その日の現場は自宅から約30数キロ離れた駅ビル 近くのデパートが取り壊されたため、行き場を失ったハト達が集まり その害が特に多いところであった。 特にハトにとっても最悪だったのが ビルの間接照明の隙間に入り込んだハトが出る事が出来ず死んでしまう事。 それをウジが湧くまえに取り除かなくてはならない。 その日も下から死んだハトの姿を確認。 だが、撤去に向かった新人は手が届かないといって戻ってきた。 そんなわけないだろ〜と思いながらも結局私の出番となる。 いつしかハト撤去係だ。 ロープにぶら下がってほぼ逆さになりながら 間接照明の隙間に手を肩口まで入れ探る。 ハトの羽を探り当ててつかみ引っ張ると、足でも引っかかっているのだろうか くたくたになった羽がちぎれそうだ。 羽はあきらめ胴体をムンズと摑みゆっくりと引きはがす。 ゴミ袋に入れ作業完了。 しばらく手にハトの柔らかい崩れかけた感触が残った。 そのあと、ハトのフン掃除をしていた仲間に合流し、脚立に上った。 そのときである。 頭にけっこう強い衝撃! そして肩口に飛び散った黄色い染みと、ころがる白い欠片! しばらく何があったのか理解出来ない。 何? 上を見上げる。 はるか上、ビルの隙間にハトの尾羽が見え隠れする。 まさか? 卵が空から落ちて来た! 「くそ〜ハトのやつ!」 思わず大きな声を荒げる私に何故か謝まる仕事仲間。 何故卵が? 巣から落ちたわけでもない。 狙われたわけでも‥ まさか!? 朝のハトが目に浮かぶ。 いやいやそんなはずは‥ そんなはずは‥ ↓イメージ ![]() 偶然はたとえ100万分の一になっても偶然であると思う。 だから偶然ハトの卵があらぬところで産み落とされて それが頭に直撃したとしても、偶然なのだから恨む理由はないし それがハトの産卵場所を奪ったその日に起こった事だとしても あくまで偶然の範疇であろうと思う。 キライになる理由もない。 偶然なのだから。 つまるところハトにまつわる様々なストレスに対する対抗処方策として 「やだ!あいつら」 という私の心の狭さから発する嫌悪感でしかないのだろう。 だが、あえて言わせてもらう 「やだ!あいつら」
v.sハト
ずいぶん昔の話しだが恨みは昨日の事のように。 田舎の駅。通勤時の慌ただしさもすぎて時間もゆっくりと感じる頃。 駅のホームで電車を待つ間、ベンチに座りアンパンを食べる事とした。 アンパンを一口かじる前からハト達は足元に集まり始めた。 その数半端ではなく、ホームからあふれんばかり。 単純な欲求に満ちた群衆を思わせる目が規則正しく前後に揺れながら ku-ku-ku-ku-ku-と鳴きながら迫ってくる。 まるで、あるはずもない権利を迫るシュプレヒコールのよう。 ku-ku-ku-ku-ku- 諸君! この私は君たちの雇い主でもなければ王様でもないんだよ! パンを一口かじる。 ku-ku-ku-ku-! 群衆の声はさらに高まる。 パンがほしければ働きなさい! さらに一口。 ku-ku-ku-ku-!! でも君たちに出来る事はあるのかい? 足で群がる群衆を払いのけながら、ゆっくり咀嚼。 その時であった。 うしろ肩口から一羽のハトが不意をついてアンパンに蹴りを入れたのだ! 不覚にも手からアンパンは離れ落ち、コロコロと餓えた群衆の真っただ中へ! 群衆が一つの意志を持った固まりとなりアンパンを中心とした狂気の円が出来た。 虚しく伸ばした手を戻すと、ベンチに深く沈み込む裸の王様。 電車はまだ来ない。 群衆が全てを食べ尽くすのをただ見守るのみ。 ↓イメージ ![]() シートン動物記の伝書鳩の物語『アルノーある伝書鳩の生涯』は 動物の英雄たちという巻に納められている。 アルノーは伝書鳩として数々の記録を作った鳩だったらしい。 シートンはこの鳩の栄光の歴史を、その生涯がハヤブサに襲われて終えるまでを 実にうまく愛情を持った視点で書いている。 しかし伝書鳩としての能力などハト達にとっての英雄とは別の話し。 やつらにとって真の英雄とは、餓えた群衆のために傲慢な暴君と戦い 糧を得る事が出来る者の事ではなかろうか? アンパンに蹴りを入れたハト。 あいつは確かに真の英雄だったろう。 でもやつらはその英雄を語り継ぐ事はないだろうし アンパンマンの犠牲愛に満ちた話しも理解出来ない。 その日私は朝食を失った。 そしてハトが少しキライになった。
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